あさりおん

森が失われた。いまこそ江戸時代中期の森林復興策から学ぶ時

昨年(2018年)、森林経営管理法という法律が施行されました。所有者不明や、森林経営の意思表示確認できないという場合、所有者の意向を無視して、経済性優先取り組みができるという法律だと言われてます。問題の多い法律だと聞きます。無理を通す法律を作ってまで、なんとかしなければならない現状が、私たちの国の森林にはあるということなのでしょう。ただ、この法律が目指すものは、経済性であり、森林環境保全はそのためにのみ必要というレベルのようですね。

400年の昔、この国の森林はいまの比ではない悲鳴をあげていた時代があるそうです。その崩壊した森林をいまの豊かな森に再生した江戸時代の取り組みについて、2014年に書いていた記事を、寝かせたままでしたので、少し手直ししてアップしました。

戦乱と乱開発で森が失われた江戸時代の国土復興。森林崩壊を招いた江戸時代初期と幕府・諸藩の対策による復興。そこから学んでいきたいと思い、記事にしました。


21世紀の日本には豊かな森が多くあります。しかしこの豊かな森の大部分が失われた歴史が日本にはあります。そして破壊された森を復興させた歴史があります。とても大切な事なのにいっさい学校では教えない…。それどころか教師たちもそれを知らないのです。

森を取り尽くした豊臣政権と江戸幕府

奥津温泉の渓谷
奥津温泉の渓谷

長い戦国の時代、砦の建設や戦場の橋梁、防護柵などで、多量の材木が伐採されました。豊臣政権は権勢を誇るために京の都を町家は総二階に、寺社仏閣、城郭を建てまくったそうです。同じ時期に、江戸では湿地帯を埋め立て、水路、上水を整備。いまの東京の土台が作られていきます。

その後、関ヶ原が終わり、江戸に幕府が開かれ、戦国の世から復興を始めた時、新しい首都である江戸はもちろん、日本中の諸藩が復興に力を入れ、森から木を切り出し、材木を作り、後にはつきやまと呼ばれる荒れ山が各地に現れ、全国の山が数十年で荒廃してしまったのです。人間が近寄れて伐採可能な辺りの森林はほとんど失われたのである。

復興事業が巨大災害を引き起こした!

戦いが終わって幕府と諸藩は豊かな町を作り、心安まる寺社を作り、権威の象徴である城を造った。実戦で必要な城よりも権威の象徴である城は戦国時代以上の威容を誇るものになった。そのために必要な木材を日本の山から取り尽くし、好景気・文化・権力を謳歌していたのある。その結果、山が荒廃し、保水力を失い、水害が多発し、飢饉が起こった。人間の町や暮らしを支える山が崩壊した結果、元和・寛永・延宝の4回の大飢饉が全国を襲い、いくさが終わってひとときの安らぎを求めていた人々に、飢えの苦しみ、死の恐怖が再び襲ってきたのである。

森の復興

この状況に将軍を筆頭に、幕府と諸藩は数十年にわたり様々な政策を施し、森の復興を果たす事になる。ある藩では藩有林も村の林もいっさいをとめやま(伐採を禁止した山)として全ての木材の切り出しを禁じる措置を行った。それでも違法伐採が行われたある藩では、荒廃した山が崩れて洪水になることを防ぐため切り株の掘り起こしさえ禁止して植林をうながした。

復興事業から山村の貧困を防げ!

しかし、山で暮らしを立てていた村などは死活問題であった。現代なら、補助金で対応するのであろうが、この時代、諸藩に大きな資金力があったわけではない。幕府とて、その政権の盤石を崩しかねない下賜金(補助金)などもってのほかなのである。それであっても諸藩や幕領では様々な工夫を凝らし、山の村の経済を支えて、山の再生を国家事業として支えていき、倹約令も出し、日本中がこのために何かを我慢し耐えたのである

補助金ではなく、今でいう地域おこしぐらいのものではない、地場産業を起こしていったのも、この時代なのである。それから50〜100年様々な工夫を凝らして日本全体が耐え、山に木々を取り戻し、山の恵みを豊かに利用できる秩序が作られていったのです。そのおかげで今の日本には森を守る技術があり、その技を持った人々がいるのである。

徳川林政史研究所「森林の江戸学」

森林の江戸学

詳しく知りたい方は、ぜひこの本を…。ぼくもこの本を読むまでは知らなかった歴史です。いま50代の我々は、どちらかというと江戸時代の黒い歴史ばかりを教えられ、明治は素晴らしい刷り込まれました。確かに飢饉や干ばつなど、悲惨な時代を経験した江戸の初期、それを踏まえて乗り越えてきた江戸の人々、その歴史はこちらの研究所で幕府や各藩の古文書を研究して、「徳川の歴史再発見 森林の江戸学」(←アマゾンで販売中)発表されてます。

なんと、記事をほったらかしている間に「徳川の歴史再発見 森林の江戸学 II」(←こちらもアマゾンで販売中)も出版されていたのです。こちらも買ってみなければ!

日本と世界で森の荒廃が進んでいる

奥津温泉

現代の日本の山は豊かに見えます。しかし、今の森もかつての森と同様に悲鳴を上げています。悲鳴の一つが花粉症でしょう。また、台風やゲリラ豪雨で森林が崩壊するたびに、温暖化の責任のように言われ続けています。しかし、私たちの国も他の国々も森林を経済発展のために利用する場所とだけ考えて、破壊し続けているのが環境破壊の実態なのでしょう。世界では、さらなる森林破壊が進んでいます。江戸時代の日本以上に各国の多くの森がひん死の状態にまで伐採されて破壊され尽くしています。

ある調査で人間の歴史が始まる前の原生林の分布と今の分布を比べると8割がなくなっているという報告があるそうです。森がなくなってきているのです。それだけの研究がなされて、森林破壊が進んでいるというのに、マスコミも政府も国連でさえもCO2を削減さえすれば環境問題が解決し、全ての問題がなくなるという勢いで温暖化対策を進めています。そのために数兆円という規模で国家間でお金が動いています。

キリマンジャロの雪解けは環境破壊が原因だった!

環境を破壊して、気候変動を起こしている大きな原因の一つは森の破壊であることは確実です。テレビでキリマンジャロの万年雪が溶けたというニュースがありました。それも温暖化のせいだと言うのですが、よく調べてみると麓の原生林がコーヒーのプランテーションや農地拡大、燃料のために違法伐採されわずか70年ほどで三割が失われたそうです。

広大な森から立ち上る水蒸気があるからこそ、山頂には雪が降り万年雪がたたえられてきたのではないだろうか?それを簡単にCO2問題だ、温暖化だと片付けて私たちは本質から目をそらしているのではないでしょうか。

他にも多くの環境問題が突き詰めてみると森林破壊の影響と関連しています。引き続き、いろんなことを学ばなければと思っています。

ここまでが2014年に書いていた記事を遂行して加筆したものです。少しはなんとかできないか、を考えて、書こうかな?と思ってますが、いつになるやら…。お楽しみに!
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