都会に住み始めて既に32年を超えました。その前の18年間は毎日が森の中という地方で育ったせいか、森に行くと少しやさしくなる気がする。私は岡山県の山奥にある美作、家内は木材の町として有名な奈良の桜井と、私たち夫婦はおのおの森の側の町で生まれました。だから森が特に好きなのかもしれません。
タイトル写真は中国山地の奥、奥津温泉の森まで出かけて、明るい日差しの心地好い森をそぞろ歩いた時のものです。森についての記事を書こうとしていて、写真を探していて見つけました。私の両親と一緒のドライブの時の写真です。この頃も一緒に森を歩いていたんだなぁ、森っていいよね。としみじみ感じた写真がこれです。
右の写真は、家を建てようと建築家探しをしている時に出かけた清里の森。この時も、やはり森に行ってます。我が家の家造りと森は切っても切れないものなのです。
都会で育った人も含めて、人は海と森に出かけて行きたがります。だが、こんなに豊かな自然がふんだんにある日本に住んでいると、そのことのありがたさをあまり顧みていないのではないでしょうか。都会の誰もが守るべき森があることも忘れて普段の生活に追われていますね。
大切な森が荒れていく時代
その大切な森、人々の大好きな森が悲鳴を上げているのをご存知ですか?いま、人間の社会は様々な問題を抱えています。新たに開発したシステムが人々の暮らしを豊かにするどころか、豊かな暮らしは見かけだけでその暮らしを守るためにさらに進化したシステムは、家族から子どもを引き離し、社会から人々を孤立させ、人と人の関係を壊しています。
そして、こうした新しい人間の暮らしが、人と森、社会と自然を引き離し、その結果、人々が顧みなくなった森や海が悲鳴を上げているのが、聞こえてきます。
森が荒れている証拠
ちょうど梅雨のシーズン。今年はまだ大きな被害はでていませんが、ここ数年毎年のように山崩れが起き、水害で家々が流されるニュースに悲しみを覚えます。そのニュースの写真を見ると植林された杉や檜の森であることが分かります。人間が放置した森がその力を失い、嵐の力を受け止めることが出来ずに崩壊しているのです。そこにあったのは長年林業に携わった人々が育てた大切な森です。日本社会がそれを支える力を失った結果なのでしょう。
森を活かしていた江戸時代
平和な時が300年続いた江戸時代、日本の社会は成熟し、森を利用し、森を管理する社会が造り上げられてきました。広葉樹や間伐された樹々はお箸やお椀に仕立てられ、あるものは薪として燃料に利用され、落ち葉や枯れ枝は肥料や焚き付けとして利用され、成長した樹々は木材として利用されました。森は生活をまかなうための豊かな資源でもあったのです。資源である森だからこそ、管理され、山に恵みがあふれて森の動物たちも里に出ることなく棲み分けがされていたのです。
明治維新と共に西洋化した日本社会。豊かな資本主義社会の優等生と言われています。反面、現代の森は豊かだった恵みが激減し、森の動物たちが里に降りて被害が続出、駆除するかどうかが問題になっていたり、利用されない資源となって、管理されないため、いつの間にか利用できない森になっています。豊かな社会が貧しい環境を作り出しているのです。
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