ウサギ、犬、猫、ザリガニ、十姉妹、インコなど、我が家には入れ替わり立ち替わり、常に色んな動物がいて、それが当たり前の風景……。そういえば、結婚してすぐ、生きた沢ガニをデパートの食品売り場で買って来たのが一匹逃亡、唐揚げになるのを免れ、エリザベスと名付けて飼いはじめ以来、金魚のピンポンパール、そして愛犬まると今も動物が我が家には必ずいる。
いつもミドリガメがいた我が家
そういった動物たちの中でも、私が物心ついて以来ずっと我が家にいたのがミドリガメ。一匹の亀が長生きしたというのではなく、数匹買って来たのが、逃げたり、死んだりして1匹もいなくなると、いつの間にか知らないうちに新入りが父の水槽の住人になっている。だから生活必需品のストック同様に、我が家はミドリガメを切らしたことがない。
ミドリガメはひょっこり首を出して周囲を見渡す様子はユーモラスだし、小さな口で餌にかぶりつく様子もミニ恐竜のようにロマンを感じなくもない。しかし犬や猫と違って柔らかい毛を撫でられるわけでも、愛くるしい表情をするわけでもない。インコのように小さな芸をしたり、喋ったりして、楽しませてくれるわけでもない。
私は、父はどうしてこんな生き物が好きなんだろうとたまに考える程度で、ほとんどこの小さな生き物に興味をひかれることはなかった。母に至っては、水槽をのぞくこともなかったと思う。
ミドリガメの世話にいそしむ父
それでも父は、毎日こまめに水槽をのぞき、割り箸で煮干しをあげたり、水が濁れば水換えをしていた。冬になればせっせと砂利をしいて冬眠の準備をし、暖かい春の風を感じれば、砂利の中から大切そうに亀を取り出していた。それはさながら、主婦が丹精こめて作ったぬか床からキュウリやナスを取り出す様子に似ていた。甲羅をなでながら、大きくなれよぉ、元気で育てよぉって励ましていたのかも。
そのように大事に育てた亀が、何年かして体調15センチ位にまで大きくなった。水槽に入りきれなくなって庭の小さな池に放ったが、ある日、その亀が脱走を試みた。学校帰りの私はたまたま家の近くの道で、脱走中の亀がゆっくりと道を横切っているところに遭遇して、すぐさま連れ帰ったことがある。しかし、その後再度試みた脱走は見事に成功し、大切に育てた父のミドリガメはとうとう帰って来ることはなかった。
そんなことがあっても、しばらくすると、やっぱり、父の水槽にはいつのまにか新入りが何匹かいて、父が作った水槽の小島で気持ち良さそうに甲羅干しをしていた。首を伸ばし切ってくつろいでいるもの、半分だけ顔を出しているもの、さまざまだったが、今から思えば、どの亀もそれなりに幸せそうだった気がする。
天国に行った父のあとを追ったミドリガメ
そんな父も長い闘病生活の末、天国に旅立った。父の水槽がミドリガメ1匹とともに残された。母は見よう見まねで恐る恐る餌をやり母なりに世話をしていたが、しばらくして、あっけなく死んでしまった。冬眠から取り出すタイミングを間違ったせいなのか何なのか、理由ははっきりしない。でも、飼い主の後を追うようにカメは逝ってしまった。その死を連絡してくれた電話で「庭に埋めてやっといたらいいかな?」と聞く母の声が少し寂しそうだった。
父の死から数年がたった今も、ホームセンターやペットショップでミドリガメを見かけると、子供の頃の記憶が蘇り、私は少しだけ混乱を覚え、切ない気持ちになる。二度と戻って来ないあの頃の、あの場所に生きていた小さな生き物見たさに、私は脳裏の片隅にひっそりと置かれている父の水槽を静かに覗いて見たくなる時がある。そして、父がしていたように、割り箸で煮干しをつかみそっと口元に近づけるように手を動かしてしまう。
私の中の甲羅の思い出は今もちょっとほろ苦い。