いつ頃からだろうか、野良犬をみかけなくなったのは。
私が住んでいる東京には野良猫はたくさんいるが、野良犬はみかけない。もしも人目につくところで犬がうろうろしていたら、すぐに保護されて交番に届けられるか、保健所に連れていかれることだろう。
しかし、私が小学生だった昭和40年代後半から50年代には、あちらこちらで野良犬を見かけたものだ。その中で、今も忘れられない犬が一匹いる。そのオスの雑種犬は、小学校によく出没して、子供たちからポチと呼ばれ、親しまれていた。動物好きだった私もポチのことが好きで、よく頭を撫でてやった。ポチも撫でられるとしっぽをふって喜んだ。ポチはお座りもお手も出来たので、人に飼われたことがあったのだろう。顔はマズルの部分が黒く、俗に言う『黒マスクをした』典型的な野良犬顔だった。大きさは中型。野良にしては肉付きが良く、栄養も足りているよう。人なつこい性格だったので、あちらこちらで食べ物をもらえていたのだろう。
あれから30〜40年。朝の集団登校に尻尾を振りながら嬉しそうについてくるポチの姿は今も私の記憶にはっきり残っている。学校までついて来て、私達が校舎に入るのを見届けるとそのまま校庭でうろうろしている時もあれば、どこかに行ってしまって、しばらく姿を表さないこともあった。そういう謎めいたところが子供心に興味をそそられたのだろう。
思えば、自由な時代だったと思う。
その頃は野良犬を捕獲する人がいて、子供たちから「犬捕りのおじさん」と恐れられてはいた。しかし、小学校にうろうろしている犬がいてもヒステリックに通報したりする親はいなかった。野良犬は決して珍しい存在ではなかったから、私の母も、道でポチをみかけると私と一緒に頭を撫でていた。昭和に子供時代を過ごした者なら共有できるであろうそんな風景の中で、犬や猫たちも私達の記憶の一部になって生き続けている。そんなものだろう。二度と戻ってこない風景だからこそ余計に懐かしく、ノスタルジーを感じてしまうのかもしれない……。
しばらくしてポチは近所の小学生の中では有名になっていたが、ある日のこと、ポチは自分よりも大きめの白い雌犬を連れてうちにやってきた。うちは小学校に近かったから、ポチは覚えていたのだろう。しかし、その時はいつものポチの様子とは明らかに違っていた。その雌犬は、明らかに妊娠していて、おっぱいがふくれていた。気が立っているようにも見えた。連れて来たポチもうちの庭先で必死で「餌をやってほしい」と訴えていた気がした。そんな様子に私も母もすっかり怯えてしまい、さっさと家に入って玄関の扉を閉めてしまった。それでも2匹は裏の縁側へまわり、勝手口にもまわり、必死で訴えていた。「何か食べ物が欲しいんです。お願いします。」と言っているようだった。動物好きの父がいたら状況は違ってたかもしれない。今の私なら、怖がらず、ポチにも雌犬にも何かをあげただろう。しかし、その時はただただ恐ろしくて、ひたすら身をひそめて2匹が去るのを家の中で待っていた。
それ以降、私の記憶からポチは姿を消した。あれ以来、ポチをみかけなくなってしまったのだ。そして、しばらくの間、その時の記憶は小さな棘のように私の心にささったままだった。現実にポチはどこかへ行ってしまったのか、あの雌の白犬は無事に子犬を産んだのか、その子犬はどうなってしまったのか、今となっては全く知る由もないが、とにかく、記憶はそこでぷっつりと途切れてしまっている。
あれから何十年もたち、自分の犬を飼っている今も、たまにポチのことを思い出す。誰の犬でもなかったポチ。でも、ポチはあの時代、私達といっしょに生きていた。ごつごつとした体と毛並みの感触。撫でたり、触ったりした時の感覚もしっかり覚えている。考えているとポチの体から発する草のような匂いが漂ってきそうだ。生きるということは、心臓がドクドクと動いていること、心臓が動くと温かいということ、そんな当たり前のことをポチの体が教えてくれた。ポチがいた風景は、少しほろ苦いけれど、私の子供時代の1ページである。
あの頃も、あぁいう時代も二度とは戻ってこないけれど、
あの時に抱いた思いや感触を忘れることはこれから先もないのだろう。