“ゴジラ”はただの怪獣映画ではない

新作アメリカ版ゴジラ近日上映。60年前に1954年版「ゴジラ」が伝えたかったもの


1954年製作「ゴジラ」を振り返ってみた

さて、せっかくですから、1954年に製作された第一作の「ゴジラ」についても……。

レッドカーペットで喝采を浴びておられた宝田明さんを拝見して、むしょうに第一作目が観たくなりました。そして、試写会から帰宅して早速録画しておいたものを観賞しました。

公開に合わせて、宣伝キャンペーン?いいの?と思わせるタイミングでNHKがゴジラ特集!小さなことは置いといて、タイミング良いありがたい特集です。

娯楽映画に込められた核を使う人類へのメッセージ

その前に「ゴジラ」が生まれた時代背景ですが、まず、このゴジラ製作の年、1954年はまだ終戦後10年足らず。戦争で焼け野原になった傷跡からようやく立ち直ろうとしていた頃、第五福竜丸がビキニ沖のアメリカの水爆実験で被爆するという衝撃的な事件が起こった年でもありました。

劇中でゴジラは「ジュラ紀の恐竜の末裔が、住処の海底の楽園を度重なる水爆実験により破壊され、安住の地を追い出され、度重なる放射線を生き延びたため、生物的進化を遂げて姿を現したものがゴジラである」と説明されています。

ゴジラは身勝手な人間の愚かな行為によって現れ、そしてまた人間の手によって葬り去られてしまいます。

ラストシーンでは、水爆実験への強烈な抗議がストレートな言葉で表明されます。こういうことからも、ゴジラはただの怪獣娯楽映画として作られたのではなく、メッセージ性の高い社会映画としての側面も持っていたといえるでしょう。

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