“ゴジラ”はただの怪獣映画ではない

新作アメリカ版ゴジラ近日上映。60年前に1954年版「ゴジラ」が伝えたかったもの


アメリカ的悪役怪獣

少し残念だったのはゴジラが戦う悪役怪獣。これは、非常にアメリカ的なキャラクター設定で日本人(おそらく中高年)がイメージする怪獣とはずいぶんと違う印象を受けました。まぁ、アメリカが製作したアメリカのゴジラですから、それは仕方ないことです。主人公のゴジラと同じくらい怪獣に人気が出て、子供のおもちゃになる日本の文化とは少し違うのかもしれません。

アメリカでは怪獣はやはりあくまでも悪役で、白黒はっきりさせるものなのかな、と想像しました。日本では、悪役はもちろん悪役ですが、アメリカに比べると少しヒーローとの境界線が曖昧な気がします。映画にはやはり製作した国の考えや文化が如実にあらわれますね。

例えてみれば、水戸黄門の悪役を語る時代劇ファンはいませんよね。でも、鬼平犯科帳の盗賊たちについてはファンは語り合う。怪獣の悲しさが見えてこないとファンとしては物足りなく感じるのです。

注文付けるとすれば、監督、ディテールにもっとこだわって!

この作品、怪獣娯楽映画としてとても良い出来です。1作目へのオマージュから、ギャレス監督がその主張も取り入れて描いているのはとても良かったです。ただ、ディテールのこだわりの無さに「そりゃ無いよぉ!」感を何カ所も感じました。

例えば、放射線や核兵器というリアルなものに対する扱いが少々雑に感じられたこと……。これは、3.11を経験して放射線のことが日常の話題にのぼり、広島・長崎の惨劇を知っている日本人からすると「あれ?そんなもんじゃないよ、放射線は……。米軍の核兵器はもっと恐ろしいぞ!」と感じる人も少なからずいることでしょう。ただ、1954年版もあれ?っと思う個所はあったし、あくまで娯楽映画として評価したいと思います。

それで思い出しました。数年前に公開された超メジャーなあるハリウッド映画では、ネバダで行なわれた水爆実験のまっただなかに放り込まれたヒーローが爆発を避けるために冷蔵庫に入り、爆発が終わると同時に何事もなかったかのように脱出してめでたし、めでたしというシーンがありました。このシーンにはさすがに驚きました。娯楽映画なんだから、という声もあるでしょうが、現実のものを扱うならあまりにも乖離かいりして描くのにやはり違和感を感じてしまいます。

今回の新作ゴジラのギャレス監督も「リアル」を追求した、と強調されてましたから、それならもう少し、ディテールにまでこだわって欲しかった、というのが残念なところです。

それでも、観る人によっても様々な発見があり、感じ方があるのが映画の良さ。昔のゴジラのファンも、そうでない人も、興味のある人はぜひご覧になってください。会場の様子を観ていると10〜30代にはおおむね評判が良さそうでした。

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